2012年6月22日金曜日

実習生の研修終了

今日で3週間にわたった実習生の研修が終了した。いろいろと話していてこちらも勉強になることが多く、また実習生も充実した3週間を過ごせたようでよかった。落ち着きがあり、明るく生徒とのやりとりもしっかりしていて、これは教員に向いているなと初日に思った。この仕事は正直ストレスも多く、大変な仕事だけに、適性というものもあるだろう。ただそれは、専門的な知識ではなく、社会人として一定の人間力というようなもので、専門的な技能は、教員になった後にでも身につけていくことができる。問題は教員になる前にあってほしい人間力のほうで、これは後になって一からつくりあげることはできないものかもしれない。彼女はここに来た時点で、それがしっかり身についているように感じられたので、こちらも安心して支援ができた。

授業もコミュニケーション重視の本校の授業をよく理解してくれ、生徒とやりとりをしながら進めてくれた。ペアワークやグループワーク主体の授業であったが、それにもすぐに適応してくれて、自分のことをふんだんに英語で話し、第2言語としての英語の使用者とて、生徒のロールモデルになってくれた。さらに、oral introductionの英語にとどまらず、生徒とinteractionをするための英語も使用してくれるようになり、これは私もteacher talkの大切さを実感していたところなので、私のほうが勉強になる場面を、多々授業の中でつくってくれた。

そして昨日の研究授業。これまでの授業で一番よくまとまっていたし、彼女の力が発揮されていたと思う。生徒もしっかりとついてきてくれたが、やはりそれは彼女の授業力によるところが大きいだろう。

3週間、ほぼ毎日、放課後に話し合いの時間をもったが、こちらの言うことを理解しながら、鋭い質問をたくさんしてくる、本当に優秀な学生だった。すばらしい実習生を担当できて私も充実した3週間を過ごすことができた。中間考査をはさんだために、実際に授業をする機会は少なかったが、少しでも彼女の今後にとってもプラスになる3週間になったのなら幸いである。

それにしても英語教育をともに語りながら考えていくのは楽しいものだ。また志を持った学生と話すのも楽しいものだなと、この仕事の楽しい部分を再発見した3週間だった。わたしもreflective practionerとして日々の授業を様々な角度から振り返られる態度を忘れないようにしなくては、と思った3週間であった。

2012年6月14日木曜日

前期中間考査終了。

今日で3日間にわたった前期中間考査も終了。作成した英語Ⅰのテストも無事終えることができた。リスニングの20点分ではわりと得点していたようだ。しかし与えられた表現を使って自分で英作文をしたり、あるいは、ある状況を与えられて決められた表現を使ってスキットをつくる問題は苦戦したようだ。スキットを作成する問題は、特に男子は苦手な印象だ。シーンをイメージし、文脈をつくりだすのは、やはり女子が得意なのかもしれない。ほとんど記号問題はなく、英語を書き続ける問題の連続のため、50分以内に全部を埋めるのは、至難の業だったのかもしれない。

 さて、こういうときに問題になるのが採点基準なのだが、担当者で納得しつつ、また一方で、ある程度は採点者の裁量に任せながら進めるのがいいのだろう。あまりそこに神経質になっていくと、そもそも、なぜそのような表現力を試す問題を試みたのか、原点がわからなくなっていく。よくテスティングの分野で、「信頼性は妥当性の前提である」「信頼性が担保されないテストは妥当性もない」と言うが、それを現場で言い切ってしまっていいのだろうか、はなはだ疑問だ。信頼性を高める努力を惜しむ必要は無いが、そこばかりに目が言って、妥当性が頭から離れてしまっては、そもそものテストの作門意図や、ひいてはそこにいたる授業のねらいがなんだったのかが、忘れ去られてしまいはしないか。採点者間の信頼性はしっかりとあわせる努力をしつつ、採点者内の信頼性については、ある程度個々人をそれこそ信頼して任せる態度が求められていると思う。特に、絶対評価であり、かつ形成的評価が求められる定期テストにおいては、その部分をあえてrisk-takeすることが個々の教員に求められているように思う。

 明日は採点したテストを返却する。思ったより点数が取れなくてがっかりする生徒も多いだろうが、かならず本物の英語力とコミュニケーション能力がつくためのプロセスであることを、しっかり意識させる返却日にしたい。

2012年6月7日木曜日

志で響きあえたら…

  今日は模試や学習指導など多岐に渡ってお世話になっている会社の方が見えられて、お話しする機会をいただいた。1つ上の学年が顕著な英語力の伸びを示していることが、今回の訪問のきっかけであった。その点を切り口にして、いろいろと英語教育について話をすることができた。

一企業でありながら、また他の業務のあるであろうに、英語教育について本当にいろいろなことをご存知で、こちらもとても勉強になった。普段、授業やテストで行っていることを話したり、また全国の先生方のお話を聞かせてもらったりと、笑いと洞察に満ちた楽しい話し合いとなった。

それにしても学校同士をつないだり、情報を提供したり、またこちらからいろいろと情報を聞いてさらにそれを現場に還元したりと、この会社は楽しそうなことをしている。大学時代の友人もかつてこの会社で働いていたが、何だか楽しそうであった。また何よりこの会社のもつ高い志を、訪問者の方々から感じることができて、うれしい時間を過ごさせていただいた。立場は違えど、夢のために走ることが出来るということは幸せだ。生徒のためにまた明日からがんばろうと思えた1日だった。

2012年6月3日日曜日

新学習指導要領と教科書

この週末は札幌で英語関係の研修に参加。来年度の教科書について話題にのぼったが、先生方によって、どこを見ているかが全然ちがってショックでもあり、刺激にもなった。新カリ対応の教科書を見て、文科省の言っていることと、教科書会社のつくってきたものがまるで違う方向性を向いているなと私は思っていたので、今回の教科書は本当に英語で授業がしやすくなった、とおっしゃる先生の話に、正直耳を疑った。

教科書はいろいろなレベルのものがあるし、多種多様ではあるが、少なくともいわゆる進学校向けの量が大目の長文では、その本文理解で精一杯で、生徒同士、あるいは生徒と教員が、英語でコミュニケーションをとるなんてことは、ほぼ不可能だと思う。もちろん教師が指示英語の域から出ず、生徒が機械的ないわゆる「学習活動」に終始するなら、いちおうそれは英語による英語の授業に、「見える」だろうが、teacher talkを含みながら、内容理解をして、さらにそれを突きぬけ、「言語活動」にいたる授業を目指すなら、本校に届いているほとんどの教科書は、その目的を果たすことには使えない、ということになる。

もちろん教科書は、教員にとっての教育の一つのmaterialに過ぎないので、教科書「で」教えるのが大切なのだろうが、それにしても大切な題材となることは確かなはずで、それを考えると、哀しい気持ちになってくる。ただ何も教科書のすべてが悪いというわけではなく、逆に完璧な教科書があるわけでもなく、やはりこちらがわがうまく教科書を調理しながら授業をする点では同じだ。また、トピックはやっぱり長い文章が掲載される教科書のほうが面白い傾向があり、知的興味をそそる意味では、個人的には(一英語学習者としては)、そういう教科書のほうが好きである。ただ、コミュニケーションをとる授業を目指すなら、到底そのようなスタイルとそれらの教科書は、折り合いがつかない、ということだ。

まあしかし、今回の研修ではそのような逆境にもまけず、志の高い先生方と意見交換をしながら話し合いができたことは有意義だった。

明日から3週間教育実習生がくる。前の学校で一度だけ担当したことがあるが、私にとっても勉強になる3週間だ。楽しみな3週間だし、実習生にとってワクワク感を少しでも感じられるような、そんな3週間になってくれればと思う。