この週末は札幌で英語関係の研修に参加。来年度の教科書について話題にのぼったが、先生方によって、どこを見ているかが全然ちがってショックでもあり、刺激にもなった。新カリ対応の教科書を見て、文科省の言っていることと、教科書会社のつくってきたものがまるで違う方向性を向いているなと私は思っていたので、今回の教科書は本当に英語で授業がしやすくなった、とおっしゃる先生の話に、正直耳を疑った。
教科書はいろいろなレベルのものがあるし、多種多様ではあるが、少なくともいわゆる進学校向けの量が大目の長文では、その本文理解で精一杯で、生徒同士、あるいは生徒と教員が、英語でコミュニケーションをとるなんてことは、ほぼ不可能だと思う。もちろん教師が指示英語の域から出ず、生徒が機械的ないわゆる「学習活動」に終始するなら、いちおうそれは英語による英語の授業に、「見える」だろうが、teacher talkを含みながら、内容理解をして、さらにそれを突きぬけ、「言語活動」にいたる授業を目指すなら、本校に届いているほとんどの教科書は、その目的を果たすことには使えない、ということになる。
もちろん教科書は、教員にとっての教育の一つのmaterialに過ぎないので、教科書「で」教えるのが大切なのだろうが、それにしても大切な題材となることは確かなはずで、それを考えると、哀しい気持ちになってくる。ただ何も教科書のすべてが悪いというわけではなく、逆に完璧な教科書があるわけでもなく、やはりこちらがわがうまく教科書を調理しながら授業をする点では同じだ。また、トピックはやっぱり長い文章が掲載される教科書のほうが面白い傾向があり、知的興味をそそる意味では、個人的には(一英語学習者としては)、そういう教科書のほうが好きである。ただ、コミュニケーションをとる授業を目指すなら、到底そのようなスタイルとそれらの教科書は、折り合いがつかない、ということだ。
まあしかし、今回の研修ではそのような逆境にもまけず、志の高い先生方と意見交換をしながら話し合いができたことは有意義だった。
明日から3週間教育実習生がくる。前の学校で一度だけ担当したことがあるが、私にとっても勉強になる3週間だ。楽しみな3週間だし、実習生にとってワクワク感を少しでも感じられるような、そんな3週間になってくれればと思う。
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