2014年3月23日日曜日

名古屋-春のディベート学集会

 高文連の事務局をやっていることから、本校からということで私も名古屋で開かれたディベートの学集会に参加させていただいてきた。ディベートに関しては全くの素人で、右も左もわからない中、全国でも有数の高校が集まる学習会で、来年度のテーマが発表されて2週間で、ここまで準備してディベートする高校生の姿に感銘を受けた。
 名古屋は春の陽気に包まれていた。落ち着いていてどっしりした大都市という印象を受けながら名古屋城を見学。自身の授業や生徒の英語活動にこれから広まっていくであろうディベートについて私も少しずつ勉強していきたいと思った週末であった。

会場となった金城学院大学


2014年3月18日火曜日

「組織化・システム化」と「個人の力量」

このところは朝早くに学校に行き仕事をするようになったが、すこぶる体調が良い。朝の時間は「金」と言うが、本当にそうなんだなあと、やっと実感してきたこの頃。いつもだと今頃通勤を始めるのだが、今日は妻が車を使うので、バスが出るまで、家のPC前に座ることにした。

 この頃よく考えるのは、「組織化・システム化」と「個人の力量」のバランスのことだ。前者が必要なことは言うまでもないが、目の前の生徒に最適化した組織・システムをつくるころには、生徒は変容してしまっていて、できあがった組織・システムは既に機能しない、なんてことがよくあるのが現代だろう。そう考えると、個人個人が局面を打開していくほかはない、ということもあるのかな、と考える。変化のスピードが速くなった現在、個人が成長しなくては、どうしようもない、ということも仕事をしていて感じることがある。

 よく、同じことを言われるにしても、Aさんが言うと素直に受け入れられるのに、Bさんが言うと多くの人が反対する、というようなことがある。同じことを言っているのだから、なんとも理不尽なことだが、場を読む力、文脈を感じる力、その人から発せられるオーラというか波動というか、そのような人間力の総体が、物事を動かすときに大切なことを、このところ感じる。

 風通しがよく、自由な職場で、マニュアル化された規則が少ない職場であればあるほど、個人の力量が、あからさまに目に見えてしまうのだろう。考えてみれば恐ろしいことでもある。そういうとき、確かに、そういう個々の不均衡を平準化するために、組織化・システム化をしていくことは必要なのだろうが、逆に考えると、そのような職場の利点を生かして、個々を成長させることを重視するような風土を作る、というアプローチも必要かもしれない。あるいは、成長した個々人をどんどん流入させて、さらに活性化をはかる、ということも重要かもしれない。

 子育てに追われて残業、というものを全くしなくなった現在、1単位時間の仕事の密度の濃さをしっかり担保しつつ、自分を成長させていきたいと感じている。