2011年9月29日木曜日

大学生の授業

 「教員志願者養成セミナー」(という名前だったかな?)という教員志望の大学生が集まって授業見学をしたり、学校経営等についてお話を先生方から聞くという研修会があるのだが(と初めて私も知ったのだが)、それが本校でここ数日開かれており、英語志望の学生が今日は一人来られて、私の授業を参観することとなっていた。とはいってもただ参観してても楽しくないだろうなと思い、授業を実際に体験してもらうことにした。授業が始まる20分ほど前に始めてお会いし、その旨を伝え、学生さんは多少驚いた様子であったが、快諾してくれて、具体的な内容を二人で詰めることにした。生徒には学生さんが来るぞと、昨日言っていたし、やってもらおうと思っていたゲームも実際は私が昨日行っていのたで、生徒は指示がそれほど明確でなくても動いてくれることは予想できた。

チャイムが鳴り、学生さんの授業が始まった。横から見ていて、関心しきり、というかこちらが勉強になること満載の授業であった。まず英語がしっかり話せていて、20分前にお話したゲームの内容をきちんと自分なりの英語で生徒に説明してくれた。生徒は昨日やったことなので理解できるが、その点をさしい引いても、わかりやすく話しておられた。英語で授業してくださいと言ったわけじゃないのに、そうしようとされるその姿勢に感銘を受けた。また、ゲームが始まるとやはり予想外の生徒の反応がおこるが、それも英語できちんと対応しておられ、やさしくしっかり英語で応えておられる。これもすばらしい点だった。「ああ~、こうやって英語使うんだ~」となんだか私が気がつくと勉強させてもらっていた。それに生徒は普段の私の授業よりも明らかに反応が良い。学生で歳も近く…という点はあるにしても、それを差し引いてもすばらしい反応。正直「いいな~」と半分くやしく思いながら、それでも学生さんの授業の仕方が勉強になった。

聞けば留学経験もなく、これまで地道に勉強してきたとのこと。1年後は教育実習で、本気で教員になりたいとのこと。「がんばってください」と心からエールを送った。いつの日か、一緒に教員として働けたらいいですね!私にとっても新鮮な経験ができた1日となった。

2011年9月27日火曜日

「ゆれ動くしっぽ」

大学院時代に出会いをいただいた方が翻訳された「ゆれ動くしっぽ」(The Tale That Wags)。8月に出版されていたがようやく購入し読みふけった。大学院時代、私も一部分ではあるが、校正に協力させてもらったのだが、その当時感じた、鮮烈な印象を、昨日のことのように思い出しながら一気に読んでしまった。

大学入試制度の問題点を鋭く描いた衝撃的な内容であるが、高校生や新任教師やベテランの教師、それに大学生や教授たちなど、日本の英語教育を語る上で欠かすことのできない、様々な立場の人々が登場する小説になっており、読者はそれぞれの登場人物たちに自分を重ねながら本書を読み進めることができる。日本の英語教育を本気で何とかしようとしてきた外国の方々の気持ちにも触れられ、私は大学院時代にそのような人々に実際にお会いしてきたこともあり、涙が出そうになりながら、感情移入して本書を読み進めることとなった。「テスト主体の教育」という日本の教育上の問題点を明るみに出したすぐれた作品であると同時に、大学院時代に考えていたテーマが思い起こされ、初心に帰る思いで、読み進めた。

日本の教育制度で育ったため、そのシステムに慣れてしまっていて、「そうはいっても事情があるんだよ…」といわゆる守旧派的な日本人の登場人物をかばう自分がいる。一方で、何十年にもわたって日本の英語教育を変えようとしてきた外国人側の存在を、大学院時代に肌身で感じてきた者としては、その方々に感情移入する自分も確かにいる。両方の軸を行ったり来たりしながら、この問題点について考える経験を、本書を読書する中で得ることができた。

そしてまたこれは、単に英語教育という枠に収まらず、大きなシステムにがんじがらめになって、どうしようもなく憤りあきらめそうになっている、私も含めた多くの日本に住む人々にとって、ある種の応援歌にもなる本だなあと、しみじみと感じた。一人ひとりは、よかれとおもって努力し、また人間的にも魅力を抱いている。しかし、システムが腐っているためにいかんともしがたい、そんな圧倒的な力に押しつぶされそうになっている私たち。少しずつでもそれを味わい、時に涙しながら、それでも人間的な方向に向かって歩みだそうとする私たちへの励ましの歌が聞こえたような気がして、勇気をもらった一冊であった。

まだお目にかかっていないTim Murphey先生と、それから貴重な出会いをいただいた訳者のY先生に、心から敬意を表します。ありがとうございました。

2011年9月26日月曜日

生徒の気質の変化?

「生徒の気質はずいぶんと変化してきているのかな」とこのところ(というか日常)感じることがあるが、今日はそのトピックについて考えさせられる「きっかけ」のようなものが数回1日の中にあった。

①となりの英語の先生から借りた書物のなかに、「ALTの悩み」という主旨の項目があった。来日してすぐのALTの先生は、授業で生徒が意見や感想を自由に述べず黙ってしまうことに驚き、反応の無い授業に必要以上に疲れてしまう、とあった。

②ベネッセの資料を空き時間に読んでいたら、昨今の生徒は受身の姿勢が目立つ旨の記述があった。

③放課後、先生方からの口からも昨今の生徒は主体性に欠ける点の指摘があった。

でも振り返ってみると私もどちらかというと授業中はおとなしい生徒であった。英語の時間に発言したことなどほとんど無いと思う。私が10年程まえ教員になったときには、教室はがやがや荒れていたので、どれだけ静かになってくれれば…と願ったことか。というかこの学校に赴任するまで、いかに静かに授業に集中して入らせるかが一つの課題でもあった。

私自身の中で、授業がどうなってほしいか、生徒にどうなってほしいかという、「期待像」みたいなものが変化したために、生徒がすごく静かなように「感じている」だけなのかもしれない…。まあ、それにしてもクラス間でも、それは一般的に静かな学年であったとしても、「差」は存在する。なんとなく和やかなクラスもあれば、どうも反応が鈍いクラス。今日はディクテーションを30分以上行ういつもと違う授業であったが、同じことをしてもクラスでやっぱり活動に向き合う「姿勢」が違う。

どっちがどうということはなくて、難点に隠れがちな利点ももちろんある。職場の先生方と話していて、その集団の利点をしっかり見極めている視点が今日は勉強になった。目の前の生徒にとってベストなものを選択し提供できる教師でありたいと思った1日だった。

2011年9月23日金曜日

私の英語学習歴

anfieldroadさんの企画で、同時期に同じテーマでブログをつづるというものがあり、もうすぐその2回目の企画が行われるようです。1回目の企画「私の英語学習歴」を書き逃していたので、2回目が始まってしまう前に、遅ればせながら1回目をつづっておこうと思います。

【中学時代】
ラジオ英語を聞いていました。基礎英語と続基礎英語です。英語会話はその当時の私には難しすぎてこれはあきらめました。音声で英語に慣れるにはラジオは私にとって最適でした。中学時代の先生も発音記号をもとに音声重視の指導法をしてくださり、家で音読してからその日習った文法事項を勉強するようになりました。音声に慣れさせてくださった当時の先生に感謝しています。ちなみに英検という存在を知り中学2年で英検3級を取得しましたが、それ以降しばらく英検を受けることはありませんでした。

【高校時代】
中学時代の勉強法のクセが残っていたので、音読する習慣を続けていたように思います。ただ学校で扱う文章量が多く、また家で使う長文問題集もかなりの分量だったので、すべてを音読していたわけではありませんでした。とにかく受験を目指して次から次に参考書と問題集を消費する、という今考えればあまり効率的とはいえない勉強法だったのですが、とにかく「問題を解けるようになればそれでいい」という学習方法を信奉していたため、このようになってしまいました。高校時代の英語の先生は個性的な方ばかりで、最初の授業で英語をひたすらしゃべって帰っていってしまうが、英語力が抜群の先生や、普段は単語しか教えてくれないけど自身の旅行の話はひたすら詳しく教えてくれる先生、映画のキャラクターに似ていてそのあだ名で呼んでいたが、緻密に教えてくれた先生など、直接私自身の英語力に直結していたかどうかはわかりませんが、楽しく面白い高校生活を送ることができたのも先生方のおかげだったのだなと、今思い返します。ちなみに、高校時代の3年間は英検など資格取得には全く興味を示しませんでした。

【大学時代】
研究系の大学だったためか、授業自体が面白いとおもった英語の授業は、教職でとった実践的案指導法の授業以外はありませんでした。その代わりではないですが自費で英会話スクールに2年間通いました。そのスクールのシラバスは今思えばfunctional syllabusで、場面場面ごとの使えるフレーズごとに構成されており、今まで文法シラバスごとに知識が頭の中で並んでいた私にとっては新鮮でした。ああ、こうやって表現をしっかり理解しながら覚えていくと(文法は一通り習っていたので、表現も理解できました)、会話で使えるんだなと、楽しく勉強できました。そのスクールは小規模なスクールで今ではつぶれてしまいましたが、合宿に連れて行ってくれたりパーティーをしたりと企画も楽しかったし、普段の授業もきちんとしていて、家庭学習ではディクテーションを課されたりと、厳しさもあり、充実した2年間でした。留学したいなあ~(その夢はかないませんでしたが)と漠然と思っていたのでTOEFLを受験しました。PBTで548点ほどだったと記憶しています。このスコアが結果的に教員採用試験の教科免除をもたらしてくれました。これは満点扱いになりますし、外部試験で基準点をクリアすることは教員採用試験合格を非常に有利にしてくれると思います。またこの頃アメリカ東海岸へ初めて海外旅行をしました。英会話スクールの知識を生かして話しかけたり聞き取れたりして、英語ってこんな風に使うんだなと充実感を覚えた最初の海外旅行でした。

【教員(最初の5年間)時代】
英語を使えるようになることに関して私の中ではモチベーションがありましたが、大学も社会学を勉強した私には「いかに英語を効率的に教えるか」「英語話者をどう育てるか」という英語教授法に関するモチベーションは正直あまりありませんでした。教科を通してというより、一教員として生徒とともに成長したい、という動機であった私は、教員になってみてそれなりに充実を覚えはしましたが、やはり授業を通して英語力をつけさせるには、私の側に、根本的に生徒を「見る」視点というかパースペクティブが育っていなかったと思われます。教員になって2年目で初めてTOEICを受けて860点、3年目で中学時代以来の英検を受けて準1級を取得しました。その後1級を何回か受けますが、圧倒的な差で落ち続けました。もう少しで手が届く、という感じなら勉強を続けようかと思うものですが、あまりに差があるために、これは英検のために勉強するのではなく、何か根本的に自分を変えるくらいの何かがないと受からないんだなと、感じ始めていました。

【大学院時代】
初任の学校を4年で転勤し、2校目に異動して1年たった頃ですから、私も教員として5年がたっていました。この区切りの年に、大学院に入りなおし、英語教授法を学びなおすことにしました。講義はすべて英語の学校だったので、予習・復習は非常に大変でした。1つの科目で必ず何枚もエッセイを書く必要があったので、その準備もしなくてはなりませんでした。しかしこの2年間で触れた英語の量が、私の今のバックボーンになっていることは間違いありません。仕事を離れた時間のあるせっかくの2年間だからと、ペーパーバックも読みあさりました。多少わからなくても、大まかな意味をつかむことを念頭に、勉強時間は教科書と学術論文、休憩時間は小説と、何でも読みまくりました。ある種ランナーズハイならぬリーダーズハイになった時期でした。大学院時代2年の最後で受けたTOEICは900点ちょうどとなりました。

【教員(大学院後)時代】
大学院から、2校目の学校に戻ると、また忙しい教員としての日々が始まりました。制約はあるものの、日々の生徒を見る目、授業を見る目が自分の中で新しくなっていることに気づきました。長期的な観点で、今この力を伸ばすことが必要ではないか、とか、この部分を改善したほうがいいのではないか、など、こちらに英語指導の視点ができているために、手を打っていこうという前向きな気持ちで授業改善を図っていくこととなりました。
大学院から戻ってきて2,3年は書き溜めていたエッセイや論文をもとに、学会に出かけていって発表をさせてもらっていました。英語教授法に関する専門用語を英語で習ってきたために、発表は英語でせざるを得ず、それがかえって自身の英語力を磨くいい勉強にもなったと思います。しかしこのごろはそんな専門用語も頭から抜け落ち、主に日本語で実践系の文章を書くこととなりました。それはそれでありがたい機会ですが、英語力という側面で言うと、やはり英語で文章を書く修行(はい、修行というくらい厳しいものですよね、英語で書くというのは…)が必要かも知れません。

英検も1級を取得しました。単語のセクションがとびきり難しいのでそこを重点的に勉強し、あとはエッセイの練習をしましたが、残りの部分は特に対策しませんでした。やはり大学院のときに触れた大量の英文がものをいったと思います。TOEICもその後ろ2回受けましたが、それぞれ910点、950点でした。TOEICは出る英文もそろそろ底をついているのではないかとうわさされるくらい傾向が似ているので、対策をたてばそれなりに点数は上がりますし、英語力試験というより、いかに早く問題を処理できるかと問う情報処理試験だな、とこのごろ感じています。まあだからこそビジネスの世界ではそれが必要なので、その意味ではすぐれた試験なのでしょう。それに比べTOEFLはアカデミックな内容ですし、speakingが追加されましたし、また「聞いてから書く」など、統合型のタスクが多用されているので、より歯ごたえのある難しい良問ぞろいですが、こちらは去年受けてIBTで96点と振るいませんでした。やはり100点は越えておきたい試験ですので、これは課題として今後対策をとっていこうと思います。別に試験のために勉強しているわけではありませんが、いち教師として人間的な成長をはかると同時に、やはり数値化できるところは数値化していく厳しさも自分に向け続けていたいというのが、両者を車の両輪と考える、私の変わらぬ基本的なスタンスです。

ずっと海外に行っていなかった私にもチャンスがめぐってきて、姉妹都市間の交流プログラムの引率ということでアメリカ中西部と西海岸へ行く機会に恵まれました。特にホームステイができたことは、アメリカの生活の一端に触れることとなり、貴重な経験でした。また、英検のお世話になり、イギリスに研修させてもらうこともできました。大学街の落ち着いた雰囲気の中で勉強できたことは貴重な財産となりました。
【現在】
1年に数冊のペースですが、ペーパーバックを読み、しばしばラジオでビジネス英語を聞き、たまにTOEFLの勉強をするというのが、今ではかなりのんびりとしてしまった私の普段の英語勉強の方法です。それと忘れてはならないのが、これまで出会ってきたALTの存在です。カナダ系、フィリピン系、中国系、アメリカ系、ニュージーランド系、と多用な方と一緒に仕事をさせてもらって、かの国の生活文化について話し合ったり、もちろん英語力も鍛えられたりしたことはかけがえのない財産です。特に2校目でであったALTとは夫婦ともども家族ぐるみのお付き合いとなりました。またこの4月から勤務する3校目の学校でも、常時2名のALTが働いている恵まれた環境で、彼らとの交流は私に大いに刺激をもたらしてくれています。

以上、英語に関して履歴をつづってみました。自分自身このようにまとめてみて振り返りができよい機会となりました。普段よりずっと長くなってしまった投稿にお付き合いいただき、感謝申し上げます。ありがとうございました。

2011年9月19日月曜日

全道おめでとう!

昨日は前に勤めていた学校の野球部が地区大会の決勝に進んだということで応援に行ってきた。雨で順延になったおかげで私も妻も都合がついて、4時間車でぶっ飛ばして球場へ。接戦だったが9回表で1点もぎ取り、その裏を3人でピシャリと抑えて見事勝利!見ていてハラハラだったが本当にうれしかった。勝ってよかった。なんだか安堵してしまった。

選手の晴れ晴れとした表情を見てうれしい気持ちはもちろんだが、やはり何よりこの日を目指して歩んでこられた監督の気持ちが試合中から胸に去来していた。私も1年だけ一緒に野球部の仕事をさせてもらったことがあるが、監督にはそれ以来本当にお世話になってきた。人間性の部分から鍛え上げていく教育の仕方に、私も含め多くの方々が感銘を受け、支援の輪が地域に広がり、そして今日の日を迎えた。人の気持ち・志というものはこんな風にして花が咲くものなんだということをひしひしと感じ、一人感動していた。苦しい道のりの連続だったろうが、監督のこれまでの労を少しでもねぎらいたくて足を運んだ甲斐があった1日だった。野球部のみなさん、本当におめでとうございます!

2011年9月18日日曜日

中学生への体験授業と函館METS

 
昨日は学校説明会が開かれた。全体で体育館に集まって説明を受けた後、それぞれの教室に移動して体験授業を行う。普段の授業で行っている、「絵を見てそれを相手に伝えるretell活動」を体験してもらった。中学生なのでretellの前の仕込みをどうするかが大事だが、ストーリーAのグループとストーリーBのグループにわかれ、そこで音読や書く練習や内容についてのbrainstorming、文が書かれたカードの並べ替えなどを行って内容理解に時間を使った。その後ストーリーA担当の生徒が、ストーリーB担当の生徒にretell、その後、役割交代とした。普段の授業に少しアレンジを加えただけだったが、本校のAll Englishかつpair/group work主体の学習を体験してもらい、最初は戸惑いもあったようだが、楽しくできたようである。生徒のやる気に満ちた顔を見ながら授業ができてこちらも大変楽しませてもらった。ぜひとも壁を乗り越えて本校に入学してきてもらいたい。

その後、夜は函館METSに初参加してきた。逆にpresentationの役割を与えていただき、こちらもスムーズに参加ができたのかもしれない。体験授業で行ったretell with the help of picturesの他にretell with the help of 5 key words/dictologss/copyglossを実際に体験してもらった。堅苦しくなく、バンバン質問も途中で来るし、参加者同士も積極的に会話するし、非常にexicitingであった。久しぶりに1日英語を使えて自分にとっても楽しめた。 また参加してみたいと思った初参加であった。

2011年9月15日木曜日

ALT研修

今日は本校でALTのための研修会が開かれた。対象教員はALTはもちろんJTEにも開かれており、小・中・高の先生がたや市町村の教育委員会の方など、国際色豊かな30~40人ほどの参加者が集われたのではないだろうか。私は自分の授業の関係で、本校のALTとJTEによるTTを見ることができなかったのだが、その後のワークショップに少し参加することができた。本道の英語教育に長く関わってコミュニケーション重視の授業を指導されているオレンカ・ビラッシュ教授も来られて、いろいろとアドバイスをくださった。一部しか参加できなかったのでそのすべてを吸収できたわけではないのだが、印象に残ったのは次のコンセプトだ。

アクティビティをchallenge/supportで考える。challegenというのは、そのアクティビティの難しさで、supportというのは、学習者がそのアクティビティをやり遂げるまでに受けることができる、教員や教材などの支援の度合いである。challengeとsupportの2つの側面で、それぞれ「high」「low」を考えると4象限ができあがるが

challengeがlowでsupportもlow→boringなアクティビティ
challengeがlowでsupportがhigh→confirmationのためのアクティビティ
challengeがhighでsupportがlow→frustrationのたまるアクティビティ
challengeがhighsでsupportもhigh→growth生徒が成長するアクティビティ

最後のアクティビティを生徒にどれだけさせられるかが鍵だと教わり、これは今後自分のアクティビティを考える上で大変ためになる切り口だな、と学びになった。それにしても本校のJTEの英語でのコメントを聞いていると心底尊敬してしまう。それくらいすばらしい英語話者なのだ。second languageでよくあれだけ話せるなあと、すばらしい先輩に囲まれて仕事ができることを誇りに思った。ALTともっと話し合って自身の英語力も鍛えたいし、もっとよい授業を協力してつくりあげたいものだと感じた1日であった。

2011年9月14日水曜日

札幌出張

今日は高教研英語部会の運営委員会で札幌へ1日出張でした。1月の大会当日に向けての役割分担などがスムーズに決まり、その足でそのまま帰ってきました。高速バスで函館札幌間を移動しましたが、片道5時間でも意外に疲れることなく先ほど帰って来れました。一人で運転して往復するのはさすがに疲れるし、また体力的にもきついですが、バスならそれほど疲れずまたリーズナブルなため、これは選択肢として今後使えそうです。私はバスの中でもそれほど酔わずに本を読むことができるので、これもまたバス移動のメリットかも知れません。会場から札幌駅までは同じ運営委員の先生に送っていただきました。先生、どうもありがとうございました。大変助かりました!

今日は前に勤めていた学校の野球部が逆転勝ちしたニュースも知りうれしい気持ちになりました!今週は土曜日は本校の学校説明会、夕方からは函館METSでプレゼンさせていただきます。どちらも初の経験ですが、短い時間ですが準備をして臨みたいと思います。

2011年9月9日金曜日

copygloss


dictoglossを各パートの最後のほうの活動に持ってきて以来、これまで何回か行ってきたこともあり、今回は趣向を変えて、初めてcopyglossを試してみました。dictoglossが、英文を2,3回聞いてから、それを思い出しつつ英文を復元していく(思い出せない部分は英文の意味が通るように再構成していく)のに対して、copyglossは英文を読み、ある程度時間がたったら(今回は30秒にしました)、それを見ないで英文を復元していくというものです。まずは個人で行わせ、次に4人程度のグループでシェアしながら、英文を再生していきました。その後3人の生徒に自分の「作品」をシェアしてもらいました。

やってみた後に生徒に聞いたところ約3人に2人は、copyglossはdictoglossより難しいという印象を持ったようです。dictoglossと同様、英文を見ていい時間を長くするなどして、難易度は変えられますが、教室全体で音声を聞くというのではなく、今回は生徒一人ひとりが、配られた英文を見てそれを今度は隠して再生する、という個人作業の時間が多くなったので、難しく感じられたのかもしれません。あるいは単にpromptが音声ではなく文字になり、慣れなかったという面もあるでしょうし、また、「目で見たものを隠して再生する」という作業が、「耳で聞いて再生する」という作業より難しく感じるという面もあるでしょう。

いずれにしても教室のダイナミックスという点では、dictoglossに比べて今いち盛り上がりにかけた部分が今日はありました。私自身スムーズに行うために練習が必要なようです。ただ今まで私がやってきたdictoglossでは、グループ活動がメインになって、個人個人が英文を再生する段階が中途半端なままに、グループでシェアして英文を復元させていたので、個人で努力をさせる部分が甘かった面があります。その点、今回のcopyglossは、個人でまずは英文を作り出させる作業をさせたために、その点では有意義だったのかもしれません。

dictglossもcopyglossも「個人作業」と「グループ作業」をどの程度の割合で入れるかというダイナミックスに関わるバランス、また、「完璧な復元を目的とするのか」あるいは、「ある程度幅のある英文を自分(たち)なりに再構成することを目的とするのか」という、活動のねらいに関するバランスなど、かなりflexibleな活動です。生徒の実態とつけさせたい英語力の兼ね合いを見ながら、今後もこの活動を取り入れていきたいと思います。

上の写真は修学旅行の京都の旅館にあった掛け軸の言葉です。すばらしい一言ですね。自分に刷り込みたい言葉です。

2011年9月7日水曜日

「成長する英語教師をめざして」


先日の修学旅行でお会いできた先生も執筆されている本がこの「成長する英語教師をめざして」。この本をその先生から購入させてもらい、今日は読みふけっていました。まだ読了できていませんが、いろいろな立場の英語教育に関わる先生方(小・中・高)の経験や想いが赤裸々につづられており、非常に心に響くものがあります。同じ教員という立場で仕事をしていますが、文章も率直かつ巧みで、教師の洗練された専門性を、ご本人はそうは意識されていないのでしょうが、個人的には感じながら楽しく読ませてもらっています。

教員という人生の長いキャリアにおいて、それぞれのステージの場面について、さまざまな先生方が語られる構成となっており、読んでいてとても勉強になりますし、私自身も、これまでの、そしてこれからの人生をこうやって歩んでいくのかと、感慨に浸りながら読み進めています。機会があればぜひ手にとって読んでみてください。お薦めです!

2011年9月5日月曜日

修学旅行から帰還

かつて住んでいた葛飾からスカイツリーを望む
1週間も前回の投稿から時間が空いてしまいました。修学旅行(北海道では見学旅行と呼びます)の引率から帰ってきました。広島・関西・東京を4泊5日で。副担任だけにいいのかな、というくらい時間に比較的余裕のある引率となりました。台風で少し雨に降られましたが、奇跡的に自主研修も実施でき、無事に帰ってくることができました。

本当は寺院とか見学すればいいのでしょうが、ミーハーな私は「王将の聖地」と呼ばれる王将1号店にどうしてもいきたくて、京都で与えられた3時間の自由時間を利用して四条大宮へ。餃子の味を堪能してきました。関西でははじめての王将でしたが、東京で食べた味よりも餃子の味がうまく感じられました。私は大味なのであまり信用なりませんが、1号店だからでしょうか、非常においしくいただけました。

東京入りした日にはお世話になっている千葉の英語の先生がわざわざホテルに訪ねてきてくださり、久しぶりの再会となりました。お忙しい日々のようですが、英語教育に対する情熱に触れて、私も元気をいただきました。先生本当にありがとうございました。

最終日の東京自主研修では、テンプル大学院に通っていたころ住んでいた葛飾区をたずねました。まったく変わっていない風景に懐かしさがこみ上げました。下町の風情を感じてきました。ただ東京スカイツリーがかつて住んでいたアパート付近からはっきり見えており、数年前にはなかった光景がなんだか不思議でした。昼食はやはりミーハーぶりを発揮して「ラーメン二郎小岩店」を訪問。野菜の無料増量で二郎を堪能しましたが、かなりのボリュームで、30を軽く超えた私には数時間胃もたれを起こしました。しかし満足度はかなりのものです。健康には明らかによくないのでしょうが(笑)、必ずまた行きます!