2010年8月16日月曜日

仕事復帰


 昨日は時差ぼけもあり体の休養に当てました。今日から仕事に復帰しました。分掌やテストの印刷などやるべきことをきちんとこなした後、ケンブリッジ研修で教わったことを生かそうと、さっそく夏休み明けの授業教材をアレンジし始めました。
 研修で印象的だったことは、講師の先生が私たちが持ってきた日本の教科書を見て、「この教科書のつくりではcommunicativeな授業をすることは非常に難しい」とおっしゃったこと。長めの文章を読ませるreadingに偏ったつくりの教科書をただ黙々と教えているだけではcommunicativeになるはずがない、という指摘に、何だか肩の荷が下りた気がしました。「そうか先生でもやっぱり難しいのか」。しかし「だからといってそこであきらめてはいけない。教科書をアレンジしながらcommunicativeにできるよう料理しなさい」と背中を押してくれた気がします。「教科書を教えるな、教科書で教えろ」。何度も聞かされてきた言葉でしたが、やっと自分の中に落ちた気がしました。
 研修で実感したのは、「読む理由もないのに教科書を読解するのは酷」という事実。pre-reading-taskとしていかにサポートを仕込めるかが大切だと痛感しました。そこで今日は単語のdefinitionシートとsentencesをput in orderするタスクを作りました。これも何てことはないものですが、「どうしてそれが大切か、納得した上で」作成すると充実感が沸いてきます。
 しかしだからと言って、担当している1年生は共通のハンドアウトを使っているため、いきなり大幅に変えるのは、同僚と生徒に動揺と混乱を与えるだけです。同僚の先生とあれこれ話しながら、生徒によい教材を、これからも作っていきたいです。

4 件のコメント:

タカ さんのコメント...

ほんとに、特に高校の教科書って扱いが難しいですよね。海外だと、reading, writingとかって結構分けますし、integratedな科目って感じがないし。日本の高校の実践だと、基本が教科書の中身をどう教えるかがメインかなあと思って見ていました。でも、Cambridgeの先生も言ったか分かりませんが、教科書そのままでなく、投げ込み的な関連ある引き出しをどんどん出せることも大事かなあと思います。

Tetsuo Marugari さんのコメント...

タカさん、
 コメントありがとうございます。全くそのとおりですね。この長文だらけの教科書でどうやってcommunicativeにするっていうの?っていう感じでケンブリッジの先生も言っていました。だから本文全体を教えるんじゃなくて、教えたいものをピックアップしたり、あるいはタカさんのおっしゃるように投げ込み教材を入れるべきと指摘していました。
 教科書はmaterialの1つに過ぎないという事実を忘れないようにしたいです。

タカ さんのコメント...

高校で教えてる先生方はそれでも教科書をある程度は消化しないといけないし、進学に熱心な学校なら学校(学科)全体の歩調もあるでしょうし、大変だなあと思います。でも外でそういう研修をされて問題点が分かってる先生であればいいと思います。何も疑問を持たないことが一番怖いですから。

Tetsuo Marugari さんのコメント...

タカさん、
 そうですね。大学院での一番の収穫はそういう意味でperspectiveの変化というか、見方そのものが変わったことだと思います。それをどう実行に移すかが今問われてはいますが、まずは疑問に思う、ここを変えなくてはならない、などの「視点」をいかに身につけるかが出発点ですね。僕もタカさんの「視点」にいつも勉強させてもらっています。