2010年6月7日月曜日

自分の課題


 漠然としたテーマだが、このところ自分の周りに起こっていることを一つにまとめるとこういうお題になるのかもしれない。
 このところ、自分の人生で一つ大きな転機がやってきているな、と感じることがある。それは教員になって2校目になる本校での勤務もある程度経過し、来年度は転勤してもおかしくない時期にさしかかっていることとも関連している。また、英語教育を仕事にするものとして、より広い視野に立って英語を学びなおし、また自分の実践を振り返るときが来ていることにも関連している。
 しかしそういった外的な動向とは別に、自分の内側にも同じような転機が来ている気がするのだ。この間、私が所属している1学年の会議で「どうもこの学年は活性化していないように感じる。皆さん本当はどう思っているんですか?もっといろいろ生徒のことで話し合わないと、正直まずいと思いますよ」と少し強めに言ってしまった。先生方はほとんど私より年上の先輩ばかりなのだが、どうしても伝えなくてはならない、という気持ちが勝ってついしゃべってしまった。しかし「この学年は問題だらけだ」と思っていた自分の気持ちも同時に出てしまい、語気が強くなったのだと思う、先生方からはほとんどまったく反応がなかった。帰宅して自己嫌悪に陥った。というのは私はよくこういった失敗をしているからだ。危機感から発言するが、相手をビビらせてしまって、さらに溝が深くなり、集団がさらに不活性化する、という悪循環である。
 自分には、組織として働きたい、組織を活性化したいという気持ちが強くある。しかし、そうでないような先生方を見るとどうしても怒りが湧き上がってしまって、正論を言ってしまう。正論はいいのだが、同時に自分の怒りも伝わるため、先生方との溝が出来上がってしまう。コミュニケーションを教える人間として、このコミュニケーションで壁にぶち当たっている。
 このところ、自分を引き上げてくださる先輩に恵まれ、新たな転機を迎えつつあるのだと感じる反面、自分の内面においてこのような課題が出てくる…。しかしきっと両者は二つで一つのものなのだろう。
 この間、友人が「極みまで上る人は、そんな自己の弱点を見据えながら、その弱さにじりじりと焼かれながら、それでも前を向いて歩き続ける人だ」というようなことを言っていた。勇気をもらえる言葉である。自分のやるべきことを、地道に謙虚に歩むのみなのだと、自分に伝えたい。

2 件のコメント:

jacques_southhill さんのコメント...

正論であればあるほど、客観的に言われると言われた方はどうしようもなくなってしまうのではないでしょうか。ある状況を見てああでもない、こうでもないと宣う評論家的な教員はたくさんいると思われます。しかし、私たちは実践家であり、職場を同じくする先生方はある意味同志だと思うのです。実践家であるが故の悩み・思いを共有することが大切だとこの頃感じています。一線を画して眺める評論家的視点で苦言を呈するよりも、同じ集団の中に身を置く実践家としての問題提起が必要なのではないでしょうか?
私が同じ立場だったら、「現状では生徒に活気がないように感じますが、どうすれば活力ある集団になるのでしょうか」と問題提起をして様子を眺めると思います。
また、日常どれだけ他愛のない話でコミュニケーションをとれているかも重要な要素だと思います

Tetsuo Marugari さんのコメント...

Jacquesさん、コメントありがとうございます。先生のおっしゃるとおりですね。成長への機会と捉えて精進していきたいと思います。